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クレイグ・ビジオ、フランク・トーマス、それぞれがそれぞれにマイルストーン到達

  • 2007/06/30(土) 19:26:20

何となく、時代のページがまた一つめくられたという感じである。
アストロズのクレイグ・ビジオ外野手と、ブルージェイズのフランク・トーマス指名打者が、6月28日の試合で共にマイルストーンへ到達している。

まず、1987年のドラフトで1巡目(全体では22番目)に指名を受けて契約以来、アストロズ一筋で過ごしてきたビジオが、史上27人目の通算3000本安打を達成している。今季で22年目のメジャー生活となっているビジオは、2997本の安打を積み上げてこの日の対ロッキーズ戦に臨んだ。4万2537人のファンが駆けつけた本拠地ミニッツメイド・パークでは、スタンドのあちこちで「3000」と書かれたバナーが掲げられ、誰もがその瞬間が訪れるのを待っていた。そしてビジオは、その期待に応えたのだ。
初回裏、先頭打者として打席に立ったビジオはサードゴロに倒れたが、3回1死1塁の場面でまずセンター前にヒット、5回1死走者なしでの第3打席はサードへの内野安打で出塁、と一気にリーチをかけて7回2死2塁で迎えた第4打席に立っている。
ビジオはこの回から2番手のマウンドに立ったロッキーズのホーキンスが投げた内角へのチェンジアップにバットを合わせ、打球をセンター右へと運ぶ。記念の一打でオースマスをホームへ迎え入れたアストロズは1-1の同点に追いついたが、一塁を蹴ったビジオは二塁を狙ってタッチアウト、しかしこれがよかった。イニングが終了したこともあり、かつてビジオ、バークスと共にキーラーB’sと呼ばれた1990年代アストロズを支えたジェフ・バグウェルがグラウンドへ飛び出してビジオを祝福、昨年限りで引退した元主砲の登場にスタンドが更にヒートアップする中、ボールボーイを努めていた息子のコナーとケイバン、そして奥さんのパティやナインが背番号7に向かって走り寄っていく。感動の輪は膨らみ、もう試合が終わってしまったかのような雰囲気が漂ったが、しかし野球の神様は粋なドラマをこの後アストロズに演出するのである。
8回表にロッキーズがホウプの2ラン本塁打とランネッタのタイムリーで3点を挙げると、その裏アストロズもバークマンがソロ、ラムが2ランと2本の本塁打で同点に追いつき、延長戦へと突入する。迎えた11回表、トゥロウツキーが左中間スタンドにソロ本塁打を叩き込み、ロッキーズが3回目のリードを奪うが、その裏アストロズは2死からビジオがこの日5本目の安打で出塁すると、ペンスが二塁打、バークマンが死球で満塁のチャンスを得る。そして若き大砲カルロス・リーが、ロッキーズの守護神フェンテスから劇的な逆転サヨナラ本塁打をレフトへ放ったのである。
biggio.jpg

ビジオは「20年もやっていると色々なことが起きるけど、今夜は最高だ!」と試合後に興奮した面持ちでまず第一声を放っている。しかし、この夜誰もが期待したのは、この言葉ではなかった。3000本安打を達成した気持ちを口にして欲しかったのだ。ビジオは「野球選手として、こんな風に応援してもらって・・・。ファンを、この街を愛している。一生懸命練習して、声援をいっぱいもらったんだ」と目に涙を浮かべて語っている。そして「本当にほっとしている。この年であと70本という数字は、あまりに大きい数字だったからね」と開幕からここまでを振り返っている。
ビジオの初安打は1988年6月29日の対ドジャース戦で、相手はあのオレル・ハーシュハイザーだった。しかも、この当時は捕手としてプレイしていたのである。1992年から二塁手としてて定着することになるが、ビジオがすごいのはオースルターに捕手と二塁手で出場したことで、これは史上初めてのケースとなっている。2002年から外野手としてプレイし、2005年からまたセカンドへ戻るという特異とも言える起用をされているが、それでもここまでプレイを続けている点は賞賛に値するものだと言える。しかも、メジャー通算283死球は1900年以降最多記録となっている。通算打率.282、286本塁打、1152打点はどちらかと言えば平凡な数字だが、3000本安打到達でまず野球殿堂入りは確実となっただけでなく、アストロズの球史を飾る名フランチャイズプレイヤーとして、このジム・キャリーに似た男の名前が今後ヒューストンの街から消えることはないものと思われる。

一方、史上21人目の通算500号本塁打を放ったフランク・トーマスは、喜びと怒りを同時に味わう稀有な試合となっている。この日は敵地ミネソタでの対ツインズ戦だったが、トーマスは初回1死1・2塁の場面で最初の打席を迎えて、カウント2-1からツインズ先発のシルバが投げた外角のスライダーを強引に引っ張り、打球を左中間スタンドへと運んだのである。
thomas.jpg

トーマスが無理にでも本塁打を狙ったのには理由があった。それは、試合を見に来ていた家族が試合の中盤で帰る予定になっていたからだったのである。トーマスは「娘からさ、パパ、最初の2回までで決めてね!って言われてたのさ」と豪快に笑いながらコメントを残している。しかし、試合はこの記念の一発では決まらなかった。両軍が点を奪い合う展開となり、6回を終わった段階でツインズが8-5と3点をリードする形になっていくのである。
こう着状態となった中で迎えた9回表、ツインズは守護神ネーサンをマウンドに送り、先頭打者としてトーマスが打席に入る。事件はここで起きる。2ストライクから見送った球をストライクとコールされ、トーマスがこれに抗議すると、なんと球審は退場を宣告したのである。試合はそのままツインズが勝利し、ブルージェイズは主砲の500号を空砲にしてしまったが、トーマスは試合後「オレの感覚じゃ、まだ試合は終わっちゃいなかったのさ。だからあそこでバトルに持ち込んだんだよ」とやっぱり笑いながら話している。
トーマスもビジオ同様1990年代のホワイトソックスを支え、1991年から7年連続で打率3割、20本塁打、100打点をキープしたその打撃から、”Big Hurt”の愛称で親しまれる選手となっている。1989年のドラフトで1巡目(全体では7番目)に指名を受けてプロ入りし、初本塁打は1990年8月28日に放っている。以降18シーズン目の大台到達ということになったが、2000年代を迎えてからのトーマスは辛酸を舐めてここまでやってきている。特に2004年に左足首を故障した後はなかなかこれが完治せず、夢にまでみたワールドシリーズとワールドチャンピオン獲得を2005年に果たしてはいるが、故障で欠場続きだったためにチームへ貢献したとはとても言えるような状態ではなく、2005年11月8日FAとなって、シカゴを離れ、アスレチックスの本拠地オークランドで野球生活を続けることになったのだ。しかしこの時38歳だったとは言え、故障さえ治れば怖いものはない、とばかりに打棒を振るったトーマスは打率.270、39本塁打、114打点と完全復活を果たすのである。そしてこのオフ再びFAとなってトロントへとやってきたのだ。
若手がどんどん育っているブルージェイズの中で、オジサンも発奮しているというのがトーマスの状況だが、破壊力満点の打撃だけでなく、彼のユーモラスなキャラクターが1980年代生まれの選手達に与えるものは決して少なくないはずである。何故ならトーマスは「また身体は万全になってる。600本、いいんじゃない?」とまぁ、思わず口元を緩ませるコメントを残して球場を去っているからなのだ。このあたりの「味」を是非吸収してもらいたいわけである。

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