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ジョー・トーレ、ヤンキースを去る

  • 2007/10/20(土) 16:50:58

ポストシーズンもロッキーズがワールドシリーズ行きを決め、レッドソックスが奇跡の3連勝を果たすかどうかで盛り上がっている中、3年連続でALDS敗退となり、淋しい10月を過ごしているヤンキースファンには、更に秋風が肌寒く感じる事態がもたらされている。1996年から12シーズンに渡って指揮をとってきたジョー・トーレ監督、辞任である。

遂にその時が来た、といったところだろう。今季もまた苦しいシーズンとなり、一時は首位レッドソックスに14.5ゲーム差をつけられる絶望的な瞬間も迎えながら、何とかワイルドカードを獲得して10月を迎えたトーレは、これで就任以来全てのシーズンでチームをポストシーズンに導くという偉業を成し遂げている。だが、若手がはつらつとしたプレイを見せたインディアンスに屈し、ヤンキースは結局1勝3敗で今季を終えるに至っている。
シーズン中からトーレ更迭の意思を隠さず、ALDSでの敗退なら解任と明言したオーナーのジョージ・スタインブレナーは、10月16日にタンパにある自宅へ球団フロント陣を集合させて、来季の体制について話し合いをもっている。この日は朝から始まった会議が午後4時過ぎまで続くという非常に緊迫感溢れる状況となったが、結論は出されず、スポークスマンが「会議は明日再開される」とだけ話すに留まっている。
だが、この件が報じられると、ニューヨークのヤンキースファン数百人がタイムズスクエアに集合し、ここで「kep Torre Alive(トーレの首を切るな!)」、「Don't let Torre Go !(トーレを行かせてはダメだ)」と書かれたプラカードを掲げ、シュプレヒコールを挙げてファンは続投を望んでいることを強くアピールしたのである。この間もヤンキース首脳陣は前日から引き続いて会議を行ったが、やはり結論は見出せず、ブライアン・キャッシュマンGMが「結論を急がないのは、頭を冷やしてじっくり考えようとしているからだ。トーレ監督はよき友人で、仲間。頻繁に連絡をとりあっている」とコメントし、ヒートアップしそうなファンの動きを抑えにかかると共に、ワールドシリーズ進出に失敗した責任問題をトーレ監督だけに押し付けず、減俸のダウンやコーチの一部入れ替えも併用する案もあるとして、ファンだけでなくFAとなるホルヘ・ポサダやマリアノ・リベラなどが、ヤンキース残留の意思を捨てることのないよう配慮する姿勢も見せている。

そして迎えた10月18日、タンパに呼び寄せられたトーレ監督には、以下のような条件提示がされた上で、続投の要請が出されている。

①来期年俸は500万ドル
②ただし、ALDS、ALCD、ワールドシリーズにそれぞれ進出が決まる度に100万ドルを上乗せする。
③ワールドシリーズに優勝すれば、オプションとして付帯する2009年の契約を年俸800万ドルで結ぶ。

そしてトーレ監督は、これ蹴ったというわけである。
彼は今季まで3年契約を結んでおり、年俸は750万ドルとなっていた。条件をクリアすれば来季は増額という形にはなるが、基本的に減額である点がまずポイントにとなったと見られている。また、本来は選手の手柄であるはずのポストシーズン進出によって、自分が利益を得ることで信頼を失うことを危惧したとも言われている。何にしても、今季も評価できる結果をもたらした自分に対して、実力を疑問視し、それを試すような条件を出されたことが、トーレ監督のプライドを大きく傷つけたことは想像に難くない。トーレ監督には球団関係者が「500万ドルでもメジャー最高年俸の監督であることに変わりはない」と話したようだが、トーレ監督の翻意を引き出すことはできなかったのである。

トーレは1960年にミルウォーキー・ブレーブスでメジャーデビューを飾り、以降1969年からカージナルス、1975年にはメッツへ移籍して1977年に36歳で現役を引退している。通算で2209試合に出場し、2342安打、252本塁打、1185打点をマーク、1971年には打率と打点の二冠王となってリーグMVPを獲得している。また引退した年はメッツで選手兼任監督となって、1981年までその職を続けると、1982年から1984年までブレーブス、1990年から1995年まではカージナルスでそれぞれ指揮を執り、バック・ショウォーターの後を受けてヤンキースの監督に就任している。監督通算では歴代8位となる2067勝を挙げ、通算2000本安打と2000勝を達成したメジャー史上唯一の存在となっている。
トーレがやってきた1996年のヤンキースは、前年にワイルドカードながら1981年以来のポストシーズン進出を果たして上り調子となっていただけでなく、ショウォーターがバーニー・ウィリアムスを中心とした生え抜き集団にチームを切り替えた作業を継続するという状況だった。デレク・ジーターやホルヘ・ポサダ、マリアノ・リベラ、アンディ・ペティートといった若手を育て上げながら、トーレは地区制覇を果たすと、ブレーブスを2連敗からの4連勝で倒して1978年以来のワールドチャンピオンの座を獲得している。以降1998年からワールドシリーズ3連覇、2001年と2003年にもワールドシリーズ進出を果たすなど輝かしい成績を残して今に至っている。

だがその一方で、トーレには年を追う毎に苦しい状況が襲っていた。ドン・ジマー・ベンチコーチ、メル・ストットルマイヤー投手コーチとトロイカ体制を形成し、選手の動向把握や戦術の構築を進めていたものの、最終的にはトーレ一人が残る形になっていたことで、FAによる補強で傭兵集団となっていくチームを1人でまとめていかなければならなかった点が彼の負担を大きくしていた。また、デヴィッド・ウェルズや伊良部、ゲーリー・シェフィールドといった問題児への対応にも腐心し、スランプになる度に厳しい批判の声を浴びるアレックス・ロドリゲスを擁護する、更にはスタインブレナー・オーナーの怒りをかわすなど、他の球団の監督とは次元が違う”針のむしろ”状態を経験している。

そうした苦労をわかっている選手達は皆トーレをかばい、解任の噂が出ればすぐに主将であるジーターがトーレでなければならないことを声高に主張するなど、各選手が絶大な信頼を寄せていたことでも知られている。その為、今季はタイガースでプレイしたシェフィールドが「トーレに差別的な扱いを受けた」とコメントした時には、誰もそれを肯定しなかったほどなのだ。
トーレは常に選手とコミュニケーションをとり、どれほど大きな失敗をしても、例えそれが井川であっても、人前で批判することは決してなかった。しかし、伊良部のように自分の立ち位置を無視した発言をする選手には断固たる態度で臨み、わがままや自己中心的な空気が蔓延することに全力を注いでいる。こうしたトーレのフォア・ザ・チームを求め、裏表のない人付き合いにより人心掌握を果たす姿勢があったからこそ、ヤンキースは崩壊することなくここまで来ることができたと言えるわけである。

それだけに、トーレなき後のヤンキースは岐路に立たされるものと思われる。後任の最有力候補は、ベンチコーチのドン・マティングリーと、2006年にマーリンズを指揮して改革を成功させながら、オーナーとの喧嘩状態からチームを追われたジョー・ジラルディのOB2人の名前がクローズアップされている。他に、1塁コーチのトニー・ペーニャ、今季でカージナルスとの契約が切れる名将トニー・ラルーサ、更には1997年にマイナーの指揮をとった日本ハム監督のトレイ・ヒルマンや、レッドソックスに対してアプローチを行ったとされる千葉ロッテのボビー・ヴァレンタインの名前も候補として名前が挙がっている。
だが、この中の誰が就任しても、トーレを慕っていたヤンキースの選手達の心をつなぎとめておくことは至難の業と言えそうである。特に、リベラのようにトーレがいるからヤンキースに残るという気持ちを持っている選手については、仮に残留してもモチベーションの低下は避けられない。ヤンキースとしては、トーレに続投の条件を出したのに、彼の方から離れていったという既成事実を盾に、選手達の動揺を押さえ込もうとしたフシが見られるが(つまり、トーレが断ることを計算した上で条件提示をした?ということである)、過程はどうあれ2008年の開幕ベンチにトーレの姿がないことには変わりがない。ここはやはり、ファンとしてはしばらくの間混乱が続くことを覚悟しなければならないようである。

それはともかく、この世界一難しいと言われる仕事を12年も続けてきたジョー・トーレには、お疲れ様と声をかけたいところである。

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