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ヒルマン、ロイヤルズ監督に就任す。

  • 2007/10/24(水) 13:14:24

日本ハムファンとしては複雑な気分になる状況であろうが、とにもかくにも来季からロイヤルズで指揮をとることが決まったトレイ・ヒルマン監督が、日本シリーズ開催までのインターバルを利用して帰国し、10月22日に本拠地カウフマン・スタジアムで就任会見を行っている。
ヒルマンはまず日本語で「ありがとうございます。私の名前はトレイ・ヒルマンです」と話し、「できれば、英語で質問してくれると嬉しい」と取材陣の笑いを誘っている。続けて「本当に、今日ほど幸せなことはない。私はとてもハングリーな男で、負けることが嫌いだ。じっくり時間をかけてロイヤルズの時代を作っていきたい」と抱負を語り、背番号22を選択した理由についても「フットボール選手だった父親が現役時代につけていた番号を選んだ」と説明している。
しかし、今回の動きについては首位争いの真っ只中で退任を表明して以降、不可解であるという批判は強い。特に今回に至ってはまだ日本シリーズが始まっていないのに、もう来年のユニフォームを着て元ドジャース監督のトム・ラソーダの明言を借用した「私にはロイヤルズ・ブルーの血が流れている」というコメントまで出すはしゃぎぶりは、札幌に戻った時にチームのメンバーやファンの気持ちを萎えさせる可能性も指摘されている。

ヒルマンはテキサス大アーリントン高からインディアンスにドラフトで指名されて入団したが、結局一度もメジャーに昇格することなく現役生活を終えている。その後12年間に渡ってレンジャースやヤンキースでマイナーの監督やコーチを歴任したが、やはりここでもメジャーから及びがかかることはなかった。日本にやってきて4年目の2006年オフは、弱小チームをリーグ制覇に導いた功績により監督の座が空いていたパドレス、アスレチックス、レンジャースが面接の申し入れを行い、ヒルマンは急遽帰国して慌ただしく西海岸を北から南へ移動したが、契約に至ることはなかった。そして今年、連覇を果たしたヒルマンにようやくメジャー監督の切符が手渡されたわけである。こうした経緯を見れば、ヒルマンが過剰なリップサービスをし、また奥さんと2人の子供を会見場に呼んだ気持ちもよく理解できるものではある。
だが、それはそれとしても不自然さを完全に払拭できるわけではない為、取材陣から当然のように「(トーレが契約を蹴ることになる)ヤンキースの次期監督候補に名前が挙がっていたからか?」という質問がぶつけられている。これに対してヒルマンは「ロイヤルズからオファーを受けたのは、トーレ監督の退任が決まるよりも前だった」と話し、更に「報道を見れば候補に挙がっていると見るのは自然なこと。それが本当かどうかを知っているのは、17年来の友達であるブライアン・キャッシュマンGMだけ」として、ヤンキース入団の為に周辺をキレイにする事を急いでいた?という空気を一掃しようとしている。

ヒルマンは4年連続で地区最下位に沈むロイヤルズの再建について「ウチのセンターでリードオフマンを務める選手がいる。彼は英語で話そうとする男で、毎日私のところへ来ては「カントク!Enjoy ! Play Hard !That's All !」と言って立ち去るんだ。とてもシンプルだが、これが大事なんだ」と日本ハム内のエピソードを明かして説明している。今季のロイヤルズは若手中心で構成され、100試合以上出場した中で30代はロス・グロードとマーク・グルジエラネックしかいないという状況になっている。そういった意味では、ヒルマンが掲げようとしている「楽しんで野球に取り組む」というスタイルはチーム改革の旗印にはなりそうだが、おそらく弱い姿ばかりを延々見せつけられているカンザシティのファンは、それをなかなか受け入れることができないかもしれない。しかも今度はただの一度もメジャーの公式戦をベンチで過ごしたことのないヒルマンだけに、負けが込めばすぐに退陣論が囁かれる可能性は高いと見るしかない。ヒルマンは「私にはメジャー経験がなく、それを不安に思う人がいるかもしれない。だが、日本での5年の監督生活は、メジャーの監督として過ごしたことに匹敵する経験だったと思う。それほど、日本の野球の質は向上している」と語って、そうした後ろ向きなものを否定してはいるのだが(ってか、WBCでチャンプになった日本に対して、質が向上してるなんて上から目線で言われる方がカチンときたりしますけどね)。

ロイヤルズは基本的に就任初年度でカントクの首を切ることはなく、まず3年は様子を見るというスタイルを貫いている。シーズン途中に更迭する場合でも、ヘッドコーチを代行に置きながら次期監督の人選を進め、シーズン終了までに就任させる上、翌年以降も継続して指揮をとらせている。開幕から新監督を迎えるのは1995年にハル・マクレーからボブ・ブーンにスウィッチした時以来となるが、ブーンも取りあえず3年目の途中までは我慢して起用していたので、ひとまずヒルマンが来年また日本に帰ってくることはなさそうである。
ただ、ジョージ・ブレットとブレット・セイバーヘーゲンを要してワールドチャンピオンになった1985年の再現をヒルマン在任中に目にすることは難しいとしか言えない。しかも、1995年のメジャデビューから一貫してこのチームを引っ張ってきたマイク・スウィニーを手放すことが規定路線となっているだけに、この点だけでも前途は多難である。同地区のツインズやタイガースとの戦力差がはっきりしている中、監督の手腕だけでそれを跳ね返すことは不可能に近いミッションだと言えるが・・・、さて?

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ジョー・トーレ、ヤンキースを去る

  • 2007/10/20(土) 16:50:58

ポストシーズンもロッキーズがワールドシリーズ行きを決め、レッドソックスが奇跡の3連勝を果たすかどうかで盛り上がっている中、3年連続でALDS敗退となり、淋しい10月を過ごしているヤンキースファンには、更に秋風が肌寒く感じる事態がもたらされている。1996年から12シーズンに渡って指揮をとってきたジョー・トーレ監督、辞任である。

遂にその時が来た、といったところだろう。今季もまた苦しいシーズンとなり、一時は首位レッドソックスに14.5ゲーム差をつけられる絶望的な瞬間も迎えながら、何とかワイルドカードを獲得して10月を迎えたトーレは、これで就任以来全てのシーズンでチームをポストシーズンに導くという偉業を成し遂げている。だが、若手がはつらつとしたプレイを見せたインディアンスに屈し、ヤンキースは結局1勝3敗で今季を終えるに至っている。
シーズン中からトーレ更迭の意思を隠さず、ALDSでの敗退なら解任と明言したオーナーのジョージ・スタインブレナーは、10月16日にタンパにある自宅へ球団フロント陣を集合させて、来季の体制について話し合いをもっている。この日は朝から始まった会議が午後4時過ぎまで続くという非常に緊迫感溢れる状況となったが、結論は出されず、スポークスマンが「会議は明日再開される」とだけ話すに留まっている。
だが、この件が報じられると、ニューヨークのヤンキースファン数百人がタイムズスクエアに集合し、ここで「kep Torre Alive(トーレの首を切るな!)」、「Don't let Torre Go !(トーレを行かせてはダメだ)」と書かれたプラカードを掲げ、シュプレヒコールを挙げてファンは続投を望んでいることを強くアピールしたのである。この間もヤンキース首脳陣は前日から引き続いて会議を行ったが、やはり結論は見出せず、ブライアン・キャッシュマンGMが「結論を急がないのは、頭を冷やしてじっくり考えようとしているからだ。トーレ監督はよき友人で、仲間。頻繁に連絡をとりあっている」とコメントし、ヒートアップしそうなファンの動きを抑えにかかると共に、ワールドシリーズ進出に失敗した責任問題をトーレ監督だけに押し付けず、減俸のダウンやコーチの一部入れ替えも併用する案もあるとして、ファンだけでなくFAとなるホルヘ・ポサダやマリアノ・リベラなどが、ヤンキース残留の意思を捨てることのないよう配慮する姿勢も見せている。

そして迎えた10月18日、タンパに呼び寄せられたトーレ監督には、以下のような条件提示がされた上で、続投の要請が出されている。

①来期年俸は500万ドル
②ただし、ALDS、ALCD、ワールドシリーズにそれぞれ進出が決まる度に100万ドルを上乗せする。
③ワールドシリーズに優勝すれば、オプションとして付帯する2009年の契約を年俸800万ドルで結ぶ。

そしてトーレ監督は、これ蹴ったというわけである。
彼は今季まで3年契約を結んでおり、年俸は750万ドルとなっていた。条件をクリアすれば来季は増額という形にはなるが、基本的に減額である点がまずポイントにとなったと見られている。また、本来は選手の手柄であるはずのポストシーズン進出によって、自分が利益を得ることで信頼を失うことを危惧したとも言われている。何にしても、今季も評価できる結果をもたらした自分に対して、実力を疑問視し、それを試すような条件を出されたことが、トーレ監督のプライドを大きく傷つけたことは想像に難くない。トーレ監督には球団関係者が「500万ドルでもメジャー最高年俸の監督であることに変わりはない」と話したようだが、トーレ監督の翻意を引き出すことはできなかったのである。

トーレは1960年にミルウォーキー・ブレーブスでメジャーデビューを飾り、以降1969年からカージナルス、1975年にはメッツへ移籍して1977年に36歳で現役を引退している。通算で2209試合に出場し、2342安打、252本塁打、1185打点をマーク、1971年には打率と打点の二冠王となってリーグMVPを獲得している。また引退した年はメッツで選手兼任監督となって、1981年までその職を続けると、1982年から1984年までブレーブス、1990年から1995年まではカージナルスでそれぞれ指揮を執り、バック・ショウォーターの後を受けてヤンキースの監督に就任している。監督通算では歴代8位となる2067勝を挙げ、通算2000本安打と2000勝を達成したメジャー史上唯一の存在となっている。
トーレがやってきた1996年のヤンキースは、前年にワイルドカードながら1981年以来のポストシーズン進出を果たして上り調子となっていただけでなく、ショウォーターがバーニー・ウィリアムスを中心とした生え抜き集団にチームを切り替えた作業を継続するという状況だった。デレク・ジーターやホルヘ・ポサダ、マリアノ・リベラ、アンディ・ペティートといった若手を育て上げながら、トーレは地区制覇を果たすと、ブレーブスを2連敗からの4連勝で倒して1978年以来のワールドチャンピオンの座を獲得している。以降1998年からワールドシリーズ3連覇、2001年と2003年にもワールドシリーズ進出を果たすなど輝かしい成績を残して今に至っている。

だがその一方で、トーレには年を追う毎に苦しい状況が襲っていた。ドン・ジマー・ベンチコーチ、メル・ストットルマイヤー投手コーチとトロイカ体制を形成し、選手の動向把握や戦術の構築を進めていたものの、最終的にはトーレ一人が残る形になっていたことで、FAによる補強で傭兵集団となっていくチームを1人でまとめていかなければならなかった点が彼の負担を大きくしていた。また、デヴィッド・ウェルズや伊良部、ゲーリー・シェフィールドといった問題児への対応にも腐心し、スランプになる度に厳しい批判の声を浴びるアレックス・ロドリゲスを擁護する、更にはスタインブレナー・オーナーの怒りをかわすなど、他の球団の監督とは次元が違う”針のむしろ”状態を経験している。

そうした苦労をわかっている選手達は皆トーレをかばい、解任の噂が出ればすぐに主将であるジーターがトーレでなければならないことを声高に主張するなど、各選手が絶大な信頼を寄せていたことでも知られている。その為、今季はタイガースでプレイしたシェフィールドが「トーレに差別的な扱いを受けた」とコメントした時には、誰もそれを肯定しなかったほどなのだ。
トーレは常に選手とコミュニケーションをとり、どれほど大きな失敗をしても、例えそれが井川であっても、人前で批判することは決してなかった。しかし、伊良部のように自分の立ち位置を無視した発言をする選手には断固たる態度で臨み、わがままや自己中心的な空気が蔓延することに全力を注いでいる。こうしたトーレのフォア・ザ・チームを求め、裏表のない人付き合いにより人心掌握を果たす姿勢があったからこそ、ヤンキースは崩壊することなくここまで来ることができたと言えるわけである。

それだけに、トーレなき後のヤンキースは岐路に立たされるものと思われる。後任の最有力候補は、ベンチコーチのドン・マティングリーと、2006年にマーリンズを指揮して改革を成功させながら、オーナーとの喧嘩状態からチームを追われたジョー・ジラルディのOB2人の名前がクローズアップされている。他に、1塁コーチのトニー・ペーニャ、今季でカージナルスとの契約が切れる名将トニー・ラルーサ、更には1997年にマイナーの指揮をとった日本ハム監督のトレイ・ヒルマンや、レッドソックスに対してアプローチを行ったとされる千葉ロッテのボビー・ヴァレンタインの名前も候補として名前が挙がっている。
だが、この中の誰が就任しても、トーレを慕っていたヤンキースの選手達の心をつなぎとめておくことは至難の業と言えそうである。特に、リベラのようにトーレがいるからヤンキースに残るという気持ちを持っている選手については、仮に残留してもモチベーションの低下は避けられない。ヤンキースとしては、トーレに続投の条件を出したのに、彼の方から離れていったという既成事実を盾に、選手達の動揺を押さえ込もうとしたフシが見られるが(つまり、トーレが断ることを計算した上で条件提示をした?ということである)、過程はどうあれ2008年の開幕ベンチにトーレの姿がないことには変わりがない。ここはやはり、ファンとしてはしばらくの間混乱が続くことを覚悟しなければならないようである。

それはともかく、この世界一難しいと言われる仕事を12年も続けてきたジョー・トーレには、お疲れ様と声をかけたいところである。

虫にファン、ポストシーズンは序盤からハプニング続きである。

  • 2007/10/07(日) 14:44:43

ポストシーズンが開幕し、4つの対戦カードをめぐって全米の野球ファンが一喜一憂する”October madness”は日を追うごとにヒートアップしている。10月5日現在、ナ・リーグはロッキーズとダイヤモンドバックスが、ア・リーグはレッドソックスとインディアンスがそれぞれ連勝するという状況で、このまますんなりいくのか、はたまた逆転3連勝のドラマが待っているのか、ますますもって見逃せないわけである。

さて、ポストシーズンと言えばハプニング。これも、普段をは違う緊張がもたらすものなのか、今年は早くも2つの”珍場面”が演じられている。
まず虫もホームチームの応援をしたのはクリーブランドで行われたインデァンス対ヤンキースのALDS第2戦だった。試合はインディアンスが19勝コンビの一翼カルモナを、ヤンキースはペティートを先発マウンドに送ってスタート、3回にカブレラが先制ソロ本塁打を放つも、以降は両軍投手陣が踏ん張って7回まで1-0で進むという緊迫した状況となっていた。迎えた8回裏、2イニング目の投球に入っていたリトル・クレメンスことジョバ・チェンバレンに、思いも寄らぬ敵が突然出現したのである。
それは数百万匹に及ぶ羽虫で、これがチェンバレンの首や頭にとまった上、前が見えないという凄まじい事態となってしまったのだ。これでリズムを崩したチェンバレンは2つの四球とワイルドピッチで2死1・3塁のピンチを招き、4番のマルティネスに対して投げた2球目のスライダーが大きくそれて三塁走者の生還を許してしまったのである。カルモナに3安打と抑え込まれていたヤンキース打線は以降も沈黙し、結局延長11回裏にハフナーのサヨナラタイムリーを浴びて2連敗を喫して幕となっている。
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「あれには悩まされた。でも、虫は虫。何とか切り抜けられると思ったけど、流れを変えてしまった」と試合後チェンバレンはガックリと肩を落としながらコメントしているが、明らかに試合の進行を妨害する存在だったこの虫に対して、防虫スプレーの散布だけで試合を続行したブルース・フローミング審判員には批判の声も挙がっている。これについてフローミングは「虫が試合中に出たことは過去にもある。中断は考えていなかった」とだけ語っているが、67歳で今季限りの引退を決めている彼の最後の晴れ舞台が、こういう形で注目されたことは皮肉だったというしかない。
この虫、クリーブランドでは夏に大量発生することで知られているものなのだが、この日は平年より10度も高い気温22度の中でプレイボールがかけられており、どうもこの季節はずれの暖かさが虫の大量発生を促したようなのである。「何もこの日じゃなくてもいいだろが!」というのがヤンキースファンの叫びが聞こえてくるようだ。

一方、ボストンではまたまたファンが試合の流れを変える「ナイスキャッチ」をしている。
この試合は松坂が先発するということで、日本でも注目されていた一戦だったが、その松坂はエンジェルスの待球作戦にハマって2回までに59球も投げさせられる苦しいマウンドで、初回に味方打線が2点をプレゼントしてくれたにも関わらず、松坂は直後の2回表に併殺崩れと連続タイムリー2塁打を浴びて2-3と逆転を許している。
ハプニングが起きたのは5回裏1死1・3塁の場面で、レッドソックスの主砲ラミレスが打ち上げたファールフライが1塁側ベンチ方面にあがり、これをエンジェルスのマシスがミットをスタンドに差し出して捕ろうとしたところを、その直前で少年が打球を両手で掴んでしまったのだ。これで命拾いをしたラミレスは四球で歩き、続くロウウェルが値千金の犠牲フライをセンターに打ち上げてレッドソックスが同点に追いついたのである。試合は、9回裏に救われたラミレスが3ラン本塁打を放ってレッドソックスがサヨナラ勝ちを飾り、エンジェルスにとってファールフライを掴んだのは「悪魔の手」に、レッドソックスには「神の手」になった、というわけなのだ。
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捕球直後、「よくやった!」と周囲の観客からハイタッチを求められた少年は、17歳のダニー・ビニックくんで、なんとレッドソックスの共同オーナーの一人であるジェフ・ビニックの息子だったのである。親孝行をこんなところで果たしたといったところなのだが、本人は「まだ信じられない。飛んできて手を伸ばしたら捕れちゃった。まだ何が起きたのかよくわかっていない」とコメントしている。

こうした「ファンの手で試合の流れが変わった」事件と言えば、思い出すのはもちろん1996年10月9日に行われたヤンキース対オリオールズのALCS第1戦のことである。3-4と1点をリードされて迎えた8回裏、ヤンキースのジーターが右中間に放ったフライを、当時12歳だったヤンキースファンの少年がグラウンド方向へ身を乗り出して捕球してしまったのだ。オリオールズの監督だったのは元巨人のデーブ・ジョンソンで、同点本塁打と認定されたこのプレイに激しく抗議したが受け入れらず、この試合もヤンキースが延長11回裏に1点を挙げて5-4でサヨナラ勝利を飾っている。勝利を予備よせたファインプレイということで、翌日になってこの少年が「僕がホームランにしたんだよ。オリオールズが好きな人には悪いけど、ヤンキースファンの僕が、チームを助けたんだ」とコメントしたことがニュースとして流れ、ニューヨークはお祭り騒ぎに突入したというおまけもついている。

そして2003年10月14日には、これと正反対の結果をもたらす事件が起きている。これはNLCS第6戦のことで、場所はシカゴのリグレー・フィールドだった。カブスが3-0でリードして迎えた8回表、マーリンズのカスティーヨが打ち上げたレフトへのファールフライを、フェンスから身を乗り出したファンが捕球体勢に入っていたアルーの頭上でキャッチしてしまったのである。本来なら2死2塁になっていたはずが、結局カスティーヨは四球を選んで1死1・2塁となり、ここからカブスには悪夢のシーンが訪れることになる。続くイヴァン・ロドリゲスのタイムリーに始まったマーリンズ打線の爆発は、一挙8得点という「大虐殺」に発展したのである。この勝利で3勝3敗のタイにしたマーリンズは続く第7戦でも3-5からの逆転勝利をマークしてワールドシリーズに進出、新人松井のいるヤンキースを下して2回目のワールドチャンピオンに輝いたわけである。
カブスの勝利をフイにしたファンに対して周囲の観客が次々にゴミを投げつけ、しまいには「殺してやる!」といった罵声まで渦巻くことになった為に、警備員が彼を守る形で誘導し、試合途中で球場を離れている。1945年以来、58年ぶりのワールドシリーズ進出を逃したカブスは、今年ナ・リーグ中地区チャンプとなってポストシーズンを戦っているが、結局10月6日の第3戦も落とし、ダイヤモンドバックスの前に手も足も出ないまま今季を追えている。おそらくまた「あいつがあの時捕ってなければ・・・」という話がシカゴのどこかで繰り返されているに違いない。

ロッキーズ、傷だらけのワイルドカード奪取!

  • 2007/10/03(水) 13:46:56

激戦、そう呼ぶしかない壮絶な試合だった。
ナ・リーグのワイルドカードを賭けた”163試合目の公式戦”1ゲーム・プレイオフが、10月1日にクアーズ・フィールドで行われ、延長13回の末にロッキーズが1995年以来2回目のポストシーズン進出を決めている。
メッツが最後の試合の敗れた為、西地区同率2位だった両者が激突することになったこの一戦、予想ではパドレスが圧倒的に有利とされていた。何故なら、この日の先発はナ・リーグの投手三冠王をほぼ手中に収めているジェイク・ピーヴィだったからなのだ。
しかし、ここまで来たらパワーバランスなど関係ない!とばかりにロッキーズ打線が初回からピーヴィに襲いかかる。その口火を切ったのは松井だった。センターへの二塁打で出塁すると、トゥロウィッキーもヒット、ホリデー四球でいきなり無死満塁のチャンスを迎えると、主砲トッド・ヘルトンがセンターへ犠牲フライ、アトキンスが左中間へヒットを放って難攻不落のピーヴィからいきなり2点を先制したのだ。更に2回にはトレアルバがレフトスタンドへ豪快なソロ本塁打を放ってパドレスを突き放す。
しかし、地区優勝の望みを最後までつなぎながら戦ってきたパドレスもタダでは済まさない。3回表の先頭打者として打席に入ったピーヴィがセンター前ヒットを放つと、これを足がかりに1安打、1四球で満塁のチャンスを作ると、1死後アドリアン・ゴンザレスがライトスタンドへ満塁ホームランを叩きこみ、逆転に成功する。更に2安打、1四球で再び満塁になると、クラークの内野ゴロの間に1点を追加、試合の流れは完全にパドレスへ傾き始めている。
だがロッキーズも負けてはいない。その裏ヘルトンがソロ本塁打、5回裏にはホリデーがタイムリー、6回にも松井が犠牲フライを打ち上げてしぶとく逆転に成功する。
迎えた8回表、ロッキーズはベテランのラトロイ・ホーキンスからかつての守護神ブライアン・フェンテスに投手をスウィッチし、必死の逃げ切りを図るが、パドレスはヒットとワイルドピッチで得た2死2塁のチャンスに、ブライアン・ジャイルズが執念の二塁打をレフトに放ち、同点に負いつくのである。そして両者ががっぷり四つに組んだまま、試合は延長に突入するのだ。

迎えた13回表、ロッキーズはこの日9人目となるホワン・フリオをマウンドに送るが、フリオは先頭打者のジャイルズを歩かせると、続くヘアストンに痛恨の勝ち越し2ランを浴びてしまう。更にヒットを浴びたフリオは1死もとれずに降板、ロッキーズは9月15日以来の登板となるラモン・オーティスをマウンドに送らざるを得ない苦境に立たされる。しかしオーティスは続く3人をピシャリと抑え、何とか傷口が広がるのを防いでいる。
だが、疲労困ぱいのロッキーズナインに2点はあまりにも大きい圧力だった。しかもパドレスは、満を持して守護神のトレヴァー・ホフマンを投入し、必勝パターンへと足を進めてきたのだ。
しかし、その苦境を振り切るきっかけを作ったのが、またしても先頭打者として打席に入った松井だった。センターへの二塁打を放って出塁すると、続くトゥロウィッキーも二塁打を放って松井をホームへ向い入れる。そして打席に入ったホリデーがライトの掲示板に当たるタイムリー三塁打を放ち、なんとロッキーズは3人でパドレスに追いついてしまったのである。
パドレスベンチはヘルトンとの勝負を避けて敬遠し、キャロールとの勝負を選択する。キャロールのバットはホフマンのボールをとらえるが、打球は浅いライトへのライナーとなってしまう。犠牲フライには厳しい状況だったものの、おそらく本能で三塁走者のホリデーがタッチップ、ライトからの送球もそれることなく捕手のマイケル・バレットのミットへ収まる、クロスプレイになると見たホリデーは空を飛ぶが如く頭からホームへ突入、かろうじて左手を延ばしてベースタッチをした瞬間、顔面をグラウンドに強く打ちつけ、そのまま滑り続けていく。その一瞬後、審判の判定がセーフであることを確認すると、ホリデーは滑り終えた状態で動かなくなってしまう。なんと、彼は脳震盪を起こして気絶してしまったのだ!
それを知らないロッキーズナインは、ホリデーの上に重なるように飛び掛かり逆転サヨナラ勝利の喜びを爆発させるが、その騒ぎになっても一向にホリデーが起き上がらない為、チームドクターが駆け寄ってくる。ドクターの指示でチームメイトがホリデーを抱えあげると、この試合のヒーローは視線も定まらず、顎からは血を流しているという壮絶な状況になっていたことがわかったのである。

「よく覚えてないんだよ・・・、オレ、きちんとベースに触ってたの?」
治療を受けた為、遅れてシャンパンファイトに姿を現したホリデーは、まだ心ここにあらずという表情でコメントを出している。「ワールドシリーズ、・・・行きたいね。けど、今は、この瞬間を楽しみたいな」と話すのが精一杯だったが、この試合で2安打、2打点をマークした彼は、打率.340、打点137でナ・リーグの二冠王の称号も得ることとなっている。メジャー3年目の昨年に打率.326、34本塁打、114打点をマークしてブレイクしたホリデーは、その成績がフロックではないことを証明した上、ロッキーズ史上に残るスライディングで実りの多かった今季を締めくくっている。

それにしてもドラマチックな試合だった。ロッキーズは本拠地の試合でありながら、審判も敵に回す展開になってしまったのだ。1点をリードした7回裏、アトキンスが左中間へ放った打球はフェンスをギリギリの高さで越えたものの、そのすぐ側にあった椅子に当たった球がグラウンドに戻ってきたところを見た二塁塁審が、二塁打と判定したからである。ハードル監督が猛然と抗議を行ったが受け入れられず、結局ロッキーズは追加点を挙げられなかったばかりか、続く8回表に同点とされてしまったのだ。だが、この誤審が結果的に延長戦でのサヨナラ勝ちを演出することになったわけで、野球の神様も粋なことをするといったところだろうか。

この試合結果を誰よりも喜んだのは、1578試合プレイオフ出場なし、という現役3位の不名誉な記録に終止符を打ったヘルトンだった。彼がメジャー昇格を果たした1997年は、もうラリー・ウォーカーやダンテ・ビシェット、ビニー・カスティーヤらが打棒を振るっていた恐怖のコロラド打線時代は終焉に向いつつあり、チーム改革の名の元に地区最下位争いを続けるのみというシーズンを強いられていったからである。それだけにヘルトンは「生涯でサイコウのシャンパンの味さ。この酒が、こんなにうまいものだったとは・・・」と感慨に浸っていることが手に取るようにわかるコメントを残している。昨年年俸が1660万ドルだったヘルトンだが、金では買えないものがあるということを我々にも教えてくれたようである。

一方、敗れたパドレスのナインは皆一様に悲痛な表情を浮かべながら球場を去っている。
特にショックを受けたのが、1死しかとれずに手の中へ落ちる寸前だった勝利を滑り落としてしまったホフマンだった。パドレスは残り2試合の段階でワイルドカード獲得マジックを1としていたが、これを共に落とした上、この日のワンゲーム・プレイオフでも敗れるという悔やんでも悔やみ切れない戦いぶりになってしまったが、この3試合のうち2試合は自身が打たれての敗戦だったのだから、元気など出ようはずがない。「野球人生で最悪の負けだ。全てはオレの責任。これを背負ってこれからいくのは辛い」というコメントを出すのが精一杯だった。
また、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振の三冠に輝いたピーヴィも、6回1/3を投げて10安打、6失点という結果に「しばらく忘れられないのは確かだね。自分達が参戦するはずだったポストシーズンを、脇で見ているだけなんて・・・」と言葉をつまらせている。ブラック監督は「2人がいなければここまで来ることはっできなかった。ただ、ロッキーズの攻撃が凄すぎたんだ」と慰めのコメントを残している。

しかし、せっかくディヴィジョン・シリーズの切符を手に入れながら、ロッキーズには過酷な日程が待っている。対戦相手は東地区優勝のフィリーズだが、なんと第1戦は10月3日、しかもディゲームなのである。しかも移動もしなければならないということで、延長を戦ったロッキーズにとっては、休む間もなくまた試合という状況なのだ。ワイルドカードは出場4チームの中で最も条件が悪く設定される点は仕方がないとは言え、投手を10人も注ぎ込んでいることも合せると、前途は暗いとしか言いようがない。ちなみに前回はブレーブスと対戦して1勝3敗で敗れさっている。今回は果たして?

ナ・リーグのポストシーズン行き4チームも決まる!

  • 2007/10/02(火) 13:48:44

今年のメジャーは本当に驚くことばかりだが、まさかナ・リーグ東地区がこういう結末を迎えようとは誰も予想できなかったのではないだろうか。
9月30日、シーズン最終戦に地区優勝を賭けて望んだフィリーズがナショナルズに6-1で打ち勝ち、1993年以来14年ぶりのポストシーズン行きを決めている。
この大事な試合にマニエル監督が先発マウンドに送ったのは44歳のジェイミー・モイヤーだった。そのモイヤーは5回1/3を投げて5安打、1失点と好投し、今季14勝目をマークして期待に応えている。若いメンバーの多いフィリーズにあって、マリナーズ時代の1997年と2001年にプレイオフで4試合を投げた経験が、ここで生かされたと言えるだろう。
モイヤーは、フィラデルフィアに近いセラービルズの出身で、昨年途中にトレードでフィリーズに移ってきたのは実家に帰るようなものという雰囲気でもあったのだが、もちろん野球選手になる前はずっとフィリーズを応援していたファンでもあった。その証拠にモイヤーは、このチームが1980年にワールドチャンピオンを獲得した時、学校をサボって優勝パレードを見に行ったほどだったのだ。それだけに感慨もひとしおのようで「ずっとファンだったフィリーズのメンバーの一人として、27年ぶりの地区優勝が決まる試合で投げられたなんて・・・」と感激した面持ちでコメントを残している。何が起きても動じない雰囲気をずっと携えてきた人だけに、彼の喜びの言葉には字面以上の深い思いが宿っていることが感じられる。

それにしても、終盤フィリーズが見せた快進撃は呆れるほどのものだった。9月12日時点で首位メッツと7ゲームも差がありながら、残り17試合でこれをひっくり返したのである。しかも、主軸の一人チェース・アットリーが死球による骨折で離脱し、慌ててホワイトソックスから井口をトレードで獲得するドタバタを経ていたことを思うと、この結果は奇跡と言ってものだと思われる。
優勝請負人として最初のミッションをクリアした井口は「トレードは自分にとっていい転機になった」と今季を振り返っている。「アットリーの穴を埋めて、復帰後は控えに回ったけど、それは最初から覚悟していたこと。我慢して、チームが勝つ為に貢献しようと思っていた」と井口が殊勝な言葉を口にすると、マニエル監督は「彼は野球をよくわかっている。そしてよくやってくれている」とその労をねぎらっている。涙の別れでユニフォームを脱いだホワイトソックスは結局今季もポストシーズン行きを逃しただけでなく、早くもチーム再建を急ぐ声に晒されている。井口はメジャー初年度でいきなりワールドチャンピオンを獲得したが、あの時の強運はまだ井口に残っていると言っていいようである。

今季のフィリーズ躍進は、打線がシーズンを通して好調だったことが大きな理由となっている。2005年にナ・リーグ新人王を獲得、昨年は58本塁打、149打点で2冠王となっただけでなく、ポストシーズンを逃しながらナ・リーグMVPに選ばれたライアン・ハワードが、打率こそ.268と大きく落としたものの、47本塁打、136打点で大砲としての役割をしっかり果たせば、チェース・アットリーも打率.332、22本塁打、103打点と3週間の故障欠場をものともしない素晴らしい成績を残してチームを引っ張っている。これにパット・バレルとジミー・ロリンズも30本塁打で続いたのだから、相手チームの投手は本当に苦しい場面ばかりだったという印象が強いはずである。
その一方、投手陣は非常に厳しい陣容となっていた。特にクローザーは二転三転し、最終的には昨年までエース級の起用を受けていたブレット・マイヤーズが担当して21セーブをマーク、取りあえずの形にはなったが、8セーブのアントニオ・アルフォンセカ、本来はシーズンを通してこの仕事を務めるはずだったトム・ゴードンが6セーブ、と絶対的な守護神なきまま騙し騙し戦ってきたのである。先発陣もコール・ハメルスが15勝5敗、カイル・ケンドリックが10勝4敗でチームの貯金に貢献したが、前出のモイヤーは12敗、アダム・イートンは10勝10敗と、ローテだけで連勝が見込める形には最後までならなかった。この点が来るポストシーズンでどういう結果をもたらすかが心配なところではあるのだ。

しかし、フィリーズには勢いがある。この試合の6回に三塁打を放ったジミー・ロリンズは、これで「20本塁打、20二塁打、20三塁打、20盗塁」を達成し、タイガースのグランダーソンに続いてこの「4部門20以上」クラブの入会を果たしている。このクラブはロリンズで4人目という狭き門だけに価値があるのだ。加えてロリンズは今季の打数が716となって、こちらはメジャー記録を更新している。記録ずくめで本人も喜んでいると思いきや「すごく嬉しい。しかし、今の目標はワールドシリーズで勝つことだけだ」と逆に気を引き締めていることを強調しているのだから、ファンも頼もしい限りだろう。試合中、ロリンズが打席に入るとスタンドからは「M・V・P!M・V・P!」とコールが起きることも納得である。

そして現役時代にはヤクルトと近鉄でプレイし、赤鬼の異名で日本のファンに強烈な印象を残したマニエル監督は、采配への批判を受けながらとなったこのシーズンを振り返り「何よりも、フィリーズのファンの為にハッピーな結果だ!」とコメントしている。厳しい声に晒されたことについても「それだって監督の仕事の一つだから。木にしないんだ」とさらりと流している。
マニエル監督は今季が3年契約の最終年となっている上、インディアンスの監督時代から問題視されている心臓疾患が完治していないことを受けて、これで監督業そのものから引退するのでは?と見られているだけに、ワールドチャンピオンになる最後のチャンスになる可能性が高い。そしてそうした事情を選手がよく理解しているだけに、今後更に驚くべき結果を我々に見せてくれるかもしれないのだ。

一方、勝てばワイルドカード決定プレイオフに進めたメッツは、本拠地シェイスタジアムで悔し涙に暮れることとなっている。この日は地区最下位のマーリンズとの対戦、しかもマウンドには今季通算300勝を達成したトム・グラヴィンを送る必勝体勢を敷きながら、そのグラヴィンが結局打者9人に対して5安打、2四球、7失点というマーリンズ打線の餌食と化し、なんと1アウトしかとれずにマウンドを降りてしまったのだ。グラヴィンは試合後「この悪夢を忘れるには、しばらく時間がかかりそうだ」と話しているが、最後の最後でチームに引導を渡したショックは言葉以上に大きいものだったはずである。ランドルフ監督も「これも野球の勉強だ、と言い切るにはあまりにも辛い」と悲痛な表情を見せて球場を後にしている。
メッツは残り17試合をフィリーズと全く逆の5勝12敗で終えたが、この失速は開幕前にナ・リーグ最強を誰もが謳っていたメッツには意外としか言いようのない現実だった。チーム不振の原因は、リードオフマンのホセ・レイエスが、9月に入って大スランプに見舞われ、これによって主軸打者が打点を挙げる場面が遠のいたことが挙げられる。更に、追い上げてくるフィリーズを意識し過ぎたのか、消極的な試合運びが相手チームに付け入る隙を与え、それが焦りを呼んでチャンスをことごとく潰す悪循環を引き起こしてしまったのである。
かわいそうなのは最後まで逆転を信じてスタンドに残ったメッツファンで、呆然として試合終了の声に反応できない人まで現れている。何せこのチームは、1969年にしろ1986年にしろ、奇跡の上に奇跡を重ねて勝つスタイルがお家芸となっているだけに、自分達が踏み台にされる場面など想像できないこともよく理解できる。しかしフィリーズに、そして西地区同率2位のパドレスとロッキーズにもあと1つ及ばなかったこと、それは悲しいけれど現実だったのである。

そして今日、10月1日。
ロッキーズが延長13回裏に逆転サヨナラでパドレスを下し、ワイルドカードを手に入れている。中地区優勝は1908年以来99年ぶりのワールドチャンピオンを目指すカブスが、そして西地区優勝はチーム改造が果たされたダイヤモンドバックスが既に決めており、ナ・リーグのポストシーズンは非常に面白い顔ぶれが揃ったことになる。もちろん、激戦必至である。


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